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ロシアの南下政策とは

ロシアについて、南下政策という言葉がありますが、これはどういう意味の言葉でしょう。
当初、帝政ロシアの最大の弱点は不凍港を持たないことでした。港が凍結してしまうと、冬の間、ロシアは貿易ができず、工場で必要な資源の輸入も、製品の輸出もできません。秋の間に資源を買いだめし、春になってから作りだめした製品を売りさばくのでは、工場の操業を維持することが非常に困難です。このことが帝政ロシアの産業の発展を大きく妨げていました。このため、ロシアは南に領土を求めたのです。

現在はムルマンスクにも不凍港はあるのですが、この町が建設されたのは、1916年です。1783年、ロシアはクリミア半島を併合しますが、ロシアの船が黒海から地中海に出るためには、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡を通過しなければなりません。この二つの海峡の通行権を持っていたオスマン・トルコ帝国に、フランス、イギリスなどの西ヨーロッパ列強は、ロシア船の通行を禁止するよう、働きかけたのです。バルカン半島というのは、このようにロシアにとっても西ヨーロッパにとっても、非常に重要な地域でした。以後の帝政ロシアによる、オスマン・トルコ帝国、西ヨーロッパに対する戦いを、南下政策と呼びます。

1853年から56年までのクリミア戦争、1877年から78年までのの露土戦争以降、帝政ロシアは南下政策を中断し、アジアに目を向けます。1860年、北京条約で満州の領土だった沿海州を割譲させ、ウラジオストックに不凍港を建設しました。帝政ロシアはようやく念願の本格的な海洋進出を果たしました。

日本の右翼的な文化人は、帝政ロシアの東ヨーロッパにおける南下政策と、シベリア開発を故意に混同し、ロシアが朝鮮や日本まで侵略する意図があったと発言していますが、そのようなことは全くありません。第一いくら日本の港を支配しても、ロシア国内への資源の輸入、製品の輸出には全く関係ありませんからね。

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辻小姐-つじしゃおじえ

Author:辻小姐-つじしゃおじえ
こんにちは、辻小姐です。
小姐とは、英語のMissのような意味の中国語です。
日本の旅館や料亭の、「お姉さん」のような意味にも使われます。ウェイトレスや何とかアテンダントのような職業は、みんな小姐です。えっちなお店の女の子もです。
でも、わたしはそういう店では働いていませんよ。

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