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[C10] 独立していた?

すみませんが、どこにも属していなかった、ということは独立していた、と仰っていると解釈してよいのでしょうか。 もしそうならば、独立門に関してのご説明をお願いします。現在独立門は、日本からの独立を記念して建てられたと勘違いしていらっしゃる方がおられるのですが、あの独立門は、「清からの独立」を記念して建てられたものです。 それ以前に、同じ場所に別の門があり、朝鮮国王が、清からの使者を土下座して迎えたという事実はどのように説明なさるのでしょう? また、朝鮮という国号も、当時の中国の王朝にお伺いをたてて決めてもらったもののはずではないでしょうか。 「王」、という名称は、皇帝に仕える臣下であるという意味です。朝鮮半島の王朝の長で、この「王」の代わりに「皇」がついておられる方はいらっしゃいますでしょうか。 当時の世界情勢で、世界一ともいわれる中国と陸続きでありながら属国ではないのは、少し不思議な気がいたします。 私はまだまだ勉強不足ですので、知らないことが沢山あります。 無礼な質問ではありますが、どうかお教えください。
  • 2006-09-08
  • 投稿者 : じゅんや
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[C12] 独立門について

最近記事の更新が遅れていまして、ご質問については、はやく李氏朝鮮まで記事を書いて、記事の中でお答えしたい気持ちもありますが、コメント欄がにぎやかになってもほしいので、ここでお答えします。
一言で言いますと、独立門は李氏朝鮮の一国民が立てた民間施設です。そのような少数の意見は、全朝鮮人の意見とは、あまり関わりがありません。清との朝貢貿易ができなくなったことを、なぜか喜んでいる人間が何人かいたとしても、わたしのか関知するところではありません。以上です。
  • 2006-09-10
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C13] 冊封について

冊封についても、どこかで説明しなくてはならないと思っていましたが、ここでは一つのことだけ説明します。日本は、倭の五王から徳川家斉まで、ずっと中国の冊封を受け、皇帝から倭王讃、日本国王源家斉などという称号を授かっていました。中国とアジアの多くの国の間で行われていた、貿易制度の一種です。
  • 2006-09-10
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C19] 冊封と朝貢

冊封と朝貢の区別がわからないようですね。冊封は、文字通りの属国ですが、朝貢は中国を立てた貿易です。日本は、倭の五王までは、冊封ですが、それ以降は、朝貢です。
冊封体制の朝鮮王は、清の使者を土下座して迎えて、国中の美女を差し出して接待していました。日本は、こういう屈辱的な事はしていません。
冊封だと中国は、武力を持つことを禁止してましたが、日本はずっと武装してました。朝鮮は、冊封のため武装を禁止されていたので、秀吉の朝鮮侵攻で苦戦しました。自分の国を守れる武力をもてない国は独立国とはいえません。

[C20] ときさんへ

李氏朝鮮が清に美女を差し出したという記録はありません。豊臣秀吉の軍を撃退したのは、朝鮮軍です。中国は冊封国以外とは貿易しません。懐良親王、足利義満、大内義興らは、中国の皇帝に日本国王の称号を授けられていました。
  • 2006-09-16
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C21] 王と帝

日本の元首は、天皇ですが、皇という漢字は、臣従先をもたない独立した王のことであり、日本が元首にこの称号を使うようになった天武朝以降は、中国の冊封体制から、実質的には脱したと言えます。韓国の元首が、皇帝と名乗れるようになったのは、日清戦争の日本の勝利で、清から冊封体制から朝鮮が開放されてから以降です。つまり日清戦争以前の韓国は中国の属国だという事です。

[C22] ときさんへ

その天皇は摂関政治の時代から、日本の元首ではなくなりました。天皇の都合によって関白、上皇、将軍、執権、管領等が退位させられたのは、建武の親政のときだけです。懐良親王、足利義満、大内義興らは、日本全国に支配力を及ぼしていたとは、必ずしもいえませんが、天皇よりはるかに大きな権力を持っていました。
  • 2006-09-19
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C23] いつから独立が犯されたか

管理人様のペースがあることでしょうから、あまり先走って近代の話を出しても、混乱のもとかも知れませんが……。

冊封も、いわば方便、いや「儀礼」なのだと、あげる側にも受ける側にも、暗黙の了解がありました。ただ同じやるなら、と壮大なお祭り(儀式)にして、もっともらしく盛り上げていたわけです。
冊封・朝貢の体制を整えることにより、貿易を王朝の管理の元に置く、という政治的な目的が双方の王朝にあったことを、見落とすべきでないと思います。朝貢体制を快く思わない人々は、貿易関係者に多かったのでないかな、と想像してます(笑)。また国家管理している物事の常として、そこに壮大な汚職・利権の構図もあり、近代化を阻んでいた面があるように感じます。

さて、こと朝鮮半島に限ると、独立が犯されたのは、19世紀に入ってからのことと思います。アヘン戦争以降、近代の……ヨーロッパ的な植民地体制を清朝が学んで、冊封体制を属国に置き換えようと、強硬論を主張するようになった。
それに李朝の官僚の一派が反発し「独立派」を作った、というのが真相です。
  • 2006-10-09
  • 投稿者 : デルタ
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[C38]

愚見ですが、一中国人として考えを述べさせていただきます。
古代中国は大中華思想をもとに、周囲の国家を蛮夷と見なし、文化経済すべてにおいて漢民族に及ばないと認識した。
中華こそ世界の中心で天朝大国、万物の源。よって「中国にない物なし」、だから貿易なんて不要。しかし、中華は仁義の邦だから、他国から貿易の申し出があるなら受けてやろうと。以上は古代中国統治者の思惑。その結果として、冊封制度が作られた。つまり、冊封されたら、属国になって、中華の一員になる。そんな中華圏内での貿易は許された。朝貢についても、形だけのもので、実際のところ、貢ぐ品より遥かに貴重な物で「回賜」の名で返礼するのが一般的。
だから、あくまでも、中国から見れば、冊封された外国は皆属国格、朝貢しに来た国も然り。
一方、他国はそんな冊封朝貢制度に従いながらも属国に成り下ると認めないし、実際にもこういう曖昧な国際関係をはっきりする術がない。
まぁ、近隣諸国のたいそうな考えはこうでしょうーー古代中国は確かに先進強大で敵に回したくないし、冊封朝貢も国にとっては有益無害だし、名義上は属国であてっも、実質上違うので、お互い黙認しただけで済ましたことです。
  • 2008-06-04
  • 投稿者 : Kitsune
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韓国の歴史(1)

日本の戦争の歴史を語る前に、1つ、誤解を解いておかなければなりません。
韓国は、ずっと長い間、中国、モンゴル、女真族(満州族)などの支配下にあった」
という誤解です。
モンゴルに関しては、韓国はけっこう長い間、支配下にありました。
しかしそれは、多くのアジア、ヨーロッパの国と同じです。
それ以外は、短い間、外国の侵入を受けたり、一部を支配されたこともありました。
しかし、韓国は必ず、自分の力でその軍隊を撃退してきたのです。
韓半島全土が、外国の支配を受けたのは、モンゴルと、アメリカ合衆国とソビエト連邦による戦後処理を除けば、大日本帝国の侵略統治だけだったのです。
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[C10] 独立していた?

すみませんが、どこにも属していなかった、ということは独立していた、と仰っていると解釈してよいのでしょうか。 もしそうならば、独立門に関してのご説明をお願いします。現在独立門は、日本からの独立を記念して建てられたと勘違いしていらっしゃる方がおられるのですが、あの独立門は、「清からの独立」を記念して建てられたものです。 それ以前に、同じ場所に別の門があり、朝鮮国王が、清からの使者を土下座して迎えたという事実はどのように説明なさるのでしょう? また、朝鮮という国号も、当時の中国の王朝にお伺いをたてて決めてもらったもののはずではないでしょうか。 「王」、という名称は、皇帝に仕える臣下であるという意味です。朝鮮半島の王朝の長で、この「王」の代わりに「皇」がついておられる方はいらっしゃいますでしょうか。 当時の世界情勢で、世界一ともいわれる中国と陸続きでありながら属国ではないのは、少し不思議な気がいたします。 私はまだまだ勉強不足ですので、知らないことが沢山あります。 無礼な質問ではありますが、どうかお教えください。
  • 2006-09-08
  • 投稿者 : じゅんや
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[C12] 独立門について

最近記事の更新が遅れていまして、ご質問については、はやく李氏朝鮮まで記事を書いて、記事の中でお答えしたい気持ちもありますが、コメント欄がにぎやかになってもほしいので、ここでお答えします。
一言で言いますと、独立門は李氏朝鮮の一国民が立てた民間施設です。そのような少数の意見は、全朝鮮人の意見とは、あまり関わりがありません。清との朝貢貿易ができなくなったことを、なぜか喜んでいる人間が何人かいたとしても、わたしのか関知するところではありません。以上です。
  • 2006-09-10
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C13] 冊封について

冊封についても、どこかで説明しなくてはならないと思っていましたが、ここでは一つのことだけ説明します。日本は、倭の五王から徳川家斉まで、ずっと中国の冊封を受け、皇帝から倭王讃、日本国王源家斉などという称号を授かっていました。中国とアジアの多くの国の間で行われていた、貿易制度の一種です。
  • 2006-09-10
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C19] 冊封と朝貢

冊封と朝貢の区別がわからないようですね。冊封は、文字通りの属国ですが、朝貢は中国を立てた貿易です。日本は、倭の五王までは、冊封ですが、それ以降は、朝貢です。
冊封体制の朝鮮王は、清の使者を土下座して迎えて、国中の美女を差し出して接待していました。日本は、こういう屈辱的な事はしていません。
冊封だと中国は、武力を持つことを禁止してましたが、日本はずっと武装してました。朝鮮は、冊封のため武装を禁止されていたので、秀吉の朝鮮侵攻で苦戦しました。自分の国を守れる武力をもてない国は独立国とはいえません。

[C20] ときさんへ

李氏朝鮮が清に美女を差し出したという記録はありません。豊臣秀吉の軍を撃退したのは、朝鮮軍です。中国は冊封国以外とは貿易しません。懐良親王、足利義満、大内義興らは、中国の皇帝に日本国王の称号を授けられていました。
  • 2006-09-16
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C21] 王と帝

日本の元首は、天皇ですが、皇という漢字は、臣従先をもたない独立した王のことであり、日本が元首にこの称号を使うようになった天武朝以降は、中国の冊封体制から、実質的には脱したと言えます。韓国の元首が、皇帝と名乗れるようになったのは、日清戦争の日本の勝利で、清から冊封体制から朝鮮が開放されてから以降です。つまり日清戦争以前の韓国は中国の属国だという事です。

[C22] ときさんへ

その天皇は摂関政治の時代から、日本の元首ではなくなりました。天皇の都合によって関白、上皇、将軍、執権、管領等が退位させられたのは、建武の親政のときだけです。懐良親王、足利義満、大内義興らは、日本全国に支配力を及ぼしていたとは、必ずしもいえませんが、天皇よりはるかに大きな権力を持っていました。
  • 2006-09-19
  • 投稿者 : 辻小姐
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[C23] いつから独立が犯されたか

管理人様のペースがあることでしょうから、あまり先走って近代の話を出しても、混乱のもとかも知れませんが……。

冊封も、いわば方便、いや「儀礼」なのだと、あげる側にも受ける側にも、暗黙の了解がありました。ただ同じやるなら、と壮大なお祭り(儀式)にして、もっともらしく盛り上げていたわけです。
冊封・朝貢の体制を整えることにより、貿易を王朝の管理の元に置く、という政治的な目的が双方の王朝にあったことを、見落とすべきでないと思います。朝貢体制を快く思わない人々は、貿易関係者に多かったのでないかな、と想像してます(笑)。また国家管理している物事の常として、そこに壮大な汚職・利権の構図もあり、近代化を阻んでいた面があるように感じます。

さて、こと朝鮮半島に限ると、独立が犯されたのは、19世紀に入ってからのことと思います。アヘン戦争以降、近代の……ヨーロッパ的な植民地体制を清朝が学んで、冊封体制を属国に置き換えようと、強硬論を主張するようになった。
それに李朝の官僚の一派が反発し「独立派」を作った、というのが真相です。
  • 2006-10-09
  • 投稿者 : デルタ
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[C38]

愚見ですが、一中国人として考えを述べさせていただきます。
古代中国は大中華思想をもとに、周囲の国家を蛮夷と見なし、文化経済すべてにおいて漢民族に及ばないと認識した。
中華こそ世界の中心で天朝大国、万物の源。よって「中国にない物なし」、だから貿易なんて不要。しかし、中華は仁義の邦だから、他国から貿易の申し出があるなら受けてやろうと。以上は古代中国統治者の思惑。その結果として、冊封制度が作られた。つまり、冊封されたら、属国になって、中華の一員になる。そんな中華圏内での貿易は許された。朝貢についても、形だけのもので、実際のところ、貢ぐ品より遥かに貴重な物で「回賜」の名で返礼するのが一般的。
だから、あくまでも、中国から見れば、冊封された外国は皆属国格、朝貢しに来た国も然り。
一方、他国はそんな冊封朝貢制度に従いながらも属国に成り下ると認めないし、実際にもこういう曖昧な国際関係をはっきりする術がない。
まぁ、近隣諸国のたいそうな考えはこうでしょうーー古代中国は確かに先進強大で敵に回したくないし、冊封朝貢も国にとっては有益無害だし、名義上は属国であてっも、実質上違うので、お互い黙認しただけで済ましたことです。
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Author:辻小姐-つじしゃおじえ
こんにちは、辻小姐です。
小姐とは、英語のMissのような意味の中国語です。
日本の旅館や料亭の、「お姉さん」のような意味にも使われます。ウェイトレスや何とかアテンダントのような職業は、みんな小姐です。えっちなお店の女の子もです。
でも、わたしはそういう店では働いていませんよ。

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